もやもやした話
基本的に過去にはあまりいい思い出も記憶もないので思い出したくないのですが、その根源に触れることがあったので愚痴ってみましょう。なお触れたくて触れたのではない。
と、あれこれ書こうかと思いましたが非常に気が滅入りそうなので端的にまとめましょう。
大津の事件が話題ですが、あんなものを想像してもらえれば。そして、加害者側が10年後20年後に成功しているといった感じ。まさにそういった状況の被害者側の感覚に陥ってるような具合です。非常に胃が痛いし、みぞおちの辺りがもやもやします。
結局被害者側が馬鹿を見るような世の中であれば、加害者側になったほうがいいんでしょうかね。被害者側はどこか歪むんです。意味合いは違いますが、被験者を刑務官と受刑者に分けた実験に似ているような気もします。
支離滅裂となりよくわからなくなってきました。文字に起こすのは難しい。とりあえず箇条書きで書いて終わりましょう。早く忘れたい。
- 私は過去に被害者であった。
- その事件または経験により性格や人間性は歪んだ。(元からの可能性もある)
- その状況からは抜けだしたが、心の奥底にトラウマ(のようなもの)を抱えている。(爆弾とも)
- そして時は流れ、加害者側が成功を収めていることを知り悶々としている。
といった流れです。もちろん、その成功した人物が努力したのであろうことは想像に難くないのです。しかしそういった過去があったというのにという単なる嫉妬心から来るこの感情をどう収集つけていけばいいのかわからないです。乗り越えるのが困難ならば忘れるしかないのか。
過去を振り返ってもしょうがないですし、過去をぶり返して他人の成功にケチを付けたところで意味を成さないこともわかります。そして圧倒的に負け組の現状でその過去の出来事を叫んだところで否定されればそれまでだし、証拠すらないわけで。全ては記憶の中のみに存在する無意味なものです。
嫉妬心や劣等感を力に変換していかないとどうしようもないですね。生きる、力。