頑張るということ

20代も中盤に差し掛かろうとしている今日この頃、最近よく思うようになってきたのがタイトルの通り頑張るということ。これってどういうことだろうなーと軽く考えたのでぼちぼち書いていくことにします。なぜ考えたのかといえば、最近の自分の考え方というものがよくわからなくなってきたので、脳内でまとめるよりは実際に文字に起こして整理する方がいいだろうということ、イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望についてというはてな匿名ダイアリーを読んだということがあります。自分の考え方というものがもしかして貧困(低所得)に繋がっているのではないかと、ある意味共通点があるのではないかと色々考えたためです。

若い時に頑張るということ

これが大事だと思います。小学校くらいまでは生活習慣を確定させる時期だと考えます。私の例で言えば夏休みの宿題を後回しにする、勉強は理解できていたので予習・復習をしていない、朝起きるのが弱い、基本的にネガ思考といったものがあります。こういった体質的なものは後々の生活に大いに影響することが多いのではないかという疑問です。もちろん、これらのことは中高を経て大きく変えることができるし変わることもあるので一概には言えませんが、根っこの部分で存在するような気がします。

そして特に重要なのが中学校や高校の間に頑張るということ。この時期に頑張ることができなかった人というのは、大人(社会人)になっても頑張ることができないのではないかという話です。つまるところ、頑張り方を知らないと言った方がいいでしょうか。頑張った記憶もないし、頑張る意欲もないので大人になって頑張り方がわからない、努力することができない。部活で一生懸命に体を動かす、知識を得るために勉強する、友人(クラスメイト)とのコミュニケーションにより立ち位置や距離感を掴むといったことでしょう。またありきたりな言葉ではありますが、この時期の時間というものはかけがえのないものであり、後々に取り返そうと思ってもできるはずもなく、また戻ることもできないのです。この時期に遊ぶことも大事ではありますが、遊ぶことも頑張るつまり何事にも一生懸命に取り組む姿勢を身につけることが大切ではないでしょうか。

大人になって頑張るということ

社会人ともなればそれぞれの業種において必要な知識も違います。頑張る方向も学生の時のように限られたものではなくなってきます。客商売であれば接客であり、技術職であれば知識を高めることです。それぞれの職場において必要な知識が出てきます。基本的に学生の延長での就職でなければ職場ごとに教育期間を設けている場合がほとんどだと思います。その間に学び、現場に出て結果を出すこと。それが重要になってきます。

若いときには結果を出すことも大事ではありますが、その点はあまり重要視されていない部分もあります。頑張ることが大事であると過程を重要視していたり大事にすることが多い気がします。もちろんテストの成績であったり部活の成績というものは結果とみなされますし、進学ということになればセンターや入試という形での結果が重要視されるわけです。

大学で頑張るということ…?

ご存じの通り大学といえば専門の学問を修める所ですが、全入時代に突入するとそうも言えません。大学といえば4年間遊ぶ所という印象があればそれは危険です。4年間遊ぶだけということはそれだけ時間を無駄に過ごすということです。特に大人になる一歩手前であり損得関係なく頑張ることができる場面というのはこれ以降あまりないと思います。もちろんプライベートで頑張ることもできますが、社会人となったときにそれだけの時間的余裕を見いだせるのかは疑問です。

遊ぶこともバイトすることも勉強すること(単位取得も)もどれも頑張る、これです。時間は有限まさにその通り。何事にも意欲的に取り組むことが大事だと思います。

頑張ることができる人

さて、ここで身近な例を挙げましょう。偏屈な私でも多少なりとも友人はいます。その中の傾向として、中高時代に頑張っていない人は社会人としても成功していないという法則があるように感じます。特に勉強と部活面で顕著に現れていると感じます。

頑張ることができた友人は大学入試を経験し、夢に向かってそれぞれ歩んでいます。難しい資格取得であったり、大学から専門学校に入り直して夢に向かうなどそれぞれの道を確固たる目標として毎日を頑張っているといえます。傾向としてはまず勉強と部活を頑張り、良い大学すなわち自分の行きたい学科のある偏差値の高い大学を目指し勉強しセンター試験を経験しています。夢という目標がぶれていないんです。目標を設定し、その目標に向かって経路を選択している感じです。

対して頑張ることができなかった友人は言葉は悪いですが宙ぶらりんに過ごしています。傾向としては上記と逆で、勉強と部活を頑張ることなく怠惰に遊ぶなどして過ごし、大学は指定校推薦やAO入試などで入学するなど大学に入ることを目標としていてセンター試験を経験していません。目標が曖昧で、将来の自分の姿というものがあまりなかったり、やりたいことがなく大学で探せばいいやという考えが多かったと思います。そのためセンター試験を経験していたとしても推薦で入学が確定していたため良い点を取るという目標に欠けていました。その結果としてかはわかりませんが大学中退が目立ち、就職先にも恵まれずにフリーターや求職活動に明け暮れる日々を過ごすといった散々たる結果です。あ、ちなみに私もこっちです。

どちらも一概には言えないとは思いますが、その傾向は多少なりともあるのではないかと思います。まぁここに書いてあることを「そんなの当たり前だろ」と思われればそれまでですし、当たり前のことをただ書き起こしただけともいえます。ただ実体験や感じたことをメモしておくくらいの意気込みで書いているので「で?」とか「当たり前のことを書くな」と感じられてもごもっともです。

変わることはできる

人間変わることはできます。理性を失った人間が動物になるというのであれば理性を保つこと、そして人間には知識があります。知識を蓄えることでより豊かになれるはずです。今から始める、それが大切なのではないかと思います。もちろん社会、ましては日本においてそれらが評価されるわけでもないですし、新卒至上主義が変わるわけでもありません。職歴の空白期間を尋ねられたら言葉に詰まることもあります。しかしどこかで花開くと信じてやるっきゃないでしょー!と気分を盛り上げて勝手に終わることにします。ありがとうございました。